あーとらいふのススメ

これからの時代、IOTやAIなどデイ四次産業革命が一層進展します。一方、急激な変革の中でこれまで以上にメンタル面でヒトへの影響が懸念されます。 生活にアートを取り入れながらワクワクする快適な生活に向けてお役に立つブログにしたいと思います。

「ゆるす」ことが癒しへの近道

私たちは生きている間に、何人の人と出逢うのだろうか。
私をこの世に導いてくれた両親、祖父母。とりあげてくれた医師、看護師にはじまり、家族、親戚縁者、恩師、友人、知人・・・。

出逢いは偶然なのだろうか。
必然的にはじまり、求め求められているから出逢うのではないだろうか。
そして、求めることで成長していく。
求めなければ、そこにとどまるか、退化してく。

生命の進化も同様だし、その進化の頂点が人間のだろう。
少なくとも私たちが知る限りは、そう思って生きている。

ヒトへ成長をもたらすのは、人だけではなく、自然からも生物からも、そして本や映画、様々なものから。
影響され、刺激され、自らに取り入れていく。
そうして、自身の才能へと進化していく。

当然、誰しも完璧ではない。

当然だと思うし、個性が光り輝くことこそ素晴らしい。
本当の自分自身を体験するために、この世に生を享けたのだから。

そのようなことを考えていると、面白い本に出合った。
「ゆるす」ということ。

ヒトが「ゆるす」行為は、人間に与えられた素晴らしい道具であるというのだ。
「ゆるし」は私たちの人生を素晴らしいものに変えるのだという。
以下、一部感じたものを紹介したい。

「ゆるし」を身にしみて感じる瞬間、ヒトは自分や他人を裁いている。

例えば、あなたが美しい、南の島のマリンブルーの海辺を散歩している。
「何て美しいのだろう、この世のものとは思えない。この美しさは変わることなく永遠のものにしていたい」
そこに、たばこの吸い殻が捨ててあるのが目に飛び込んできた。
それを見た瞬間、どうなるか。
怒りで、カーッる。あっという間に見知らぬ誰かを裁き始めました。
「この美しい海を汚すとは、とんでもない大バカ者だ 情けない」

その時、内なる声
「待ちなさい、そんなふうに非を裁くよりも、戻って拾ったらどうですか。
一日中、裁きながら気分悪く過ごすより、間違いなく正す方が良いのでは。」

私は戻って、たばこの吸い殻を拾った。その瞬間、心にムカムカが消えて、安らぎと悦びに満ちた素晴らしい気持ちを味わった。

いつだったか、20代前半の頃、車窓からゴミを捨てたことを思い出した。
つまり、自分自身の罪悪感の投影であることが分かった。
自分が過去から解き放ち、自分を裁く気持ちから自由になることを学んだ。

その瞬間、「ゆるし」が「癒し」に変わる実感した。

他人を許せないとき、それはこれまで目を背けてきた自分自身なのだという。

心安らかに生きる。

ただそれだけを目標にしてもいいかもしれない。

自らを幸せにするのは自分自身なのです。