あーとらいふのススメ

これからの時代、IOTやAIなどデイ四次産業革命が一層進展します。一方、急激な変革の中でこれまで以上にメンタル面でヒトへの影響が懸念されます。 生活にアートを取り入れながらワクワクする快適な生活に向けてお役に立つブログにしたいと思います。

感動した話

対人関係を良くするには、相手を好きになることだ、と書いたことがあります。
営業の第一線で働いてた頃は、相手に会う前に「目にLOVE。愛してます、愛してます」と自分に言い聞かせて面談に臨んでいたものです。 そうすると、初対面でも不思議と笑顔がつくれ、話が出来ました。
しかし、相手の立場に身を置いて考える、嫌いな人でも好きになる努力をする、というは中々できるものではありません。

昨日、本棚を整理していたら「忘れられない生徒」という題名のポチキスどめ2ページちょっとのA4紙のものが出てきました。
確かいい話だったなぁ、と改めて読み返してみて思わず涙が出ました。
以下、その内容です。ちょっと長くなりますが、頑張って打ち込みますので読んでください。


私が小学校5年生の担任になった時、クラスの中に一人、服装がだらしなく乱暴者で、どうしても好きになれない生徒がいました。
教師が書く学習指導記録に、私はその生徒の悪いところばかり記入するようになっていたのです。

2学期も始まったある9月の昼休み、職員室で古い指導記録を整理していると、その生徒の1年生の時の記録が目に留まりました。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切である。勉強もよく出来て、将来が楽しみである」と書いてありました。
「間違いだ。他の生徒の記録と間違えているに違いない。」私はそう思いました。
2年生の時の記録は「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻をする」と書かれていました。
3年生の前半では「母親の病気が悪くなり、疲れていて教室で居眠りをする」
3年生の後半の記録には「母親が死亡した。希望を失い悲しんでいる」とありました。
4年生になると「父親は生きる意欲を失い、アルコール依存症になってしまい、子供に暴力をふるう」と書かれていました。
私の胸に突然激しい痛みが走りました。ダメと決めつけていた生徒が突然、深い悲しみを抱きながら精一杯生き抜いている子供として私の前に現れてきたのです。
私にとって、目が開かれた瞬間でした。

その日の放課後、私はその生徒に声を掛けました。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?何か分からないことがあれば教えてあげるから」
その時、生徒は始めて笑顔を見せました。私は、少し「心が通じた」と思いました。

それから秋の深まりとともに、毎日放課後、その生徒は教室の自分の机で予習復習を熱心に勉強しました。
授業でその生徒が始めて手を挙げた時、私の心に大きな喜びが沸き上がりました。
生徒は自信を持ち始めていたのです。

その年も押し詰まった12月、2学期の終業式を前にしたクリスマスイブの午後でした。
誰もいない休み時間、教室の前の廊下で、その生徒が突然小さな包みを私の胸に押し付けてきました。
包は不器用に包まれリボンがセロハンテープで逆さにつけられていました。その生徒は走ってその場を去りました。
そのあと、職員室でこっそり箱を開けてみると、使っていた形跡のある小さな香水の瓶が出てきました。
私は「本人が買ったとは思ない。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない」とすぐに悟りました。
生徒から品物をもらうわけにはいかず、香水を返す目的でその日の夕方、生徒の家を訪ねました。ただ生徒の気持ちを考えて1滴だけ香水をつけていったのです。

古く小さな木造の家に入ると、雑然とし西日が差し込む部屋で独り本を読んでいた少年が気が付いて飛んできました。そしていきなり私の胸に顔をうずめてこう言いました。
「ああ、お母さんの匂いだ!今日はすてきなクリスマスだ。」
私は一瞬ビックリしましたが、思わずその生徒を抱きしめてしまったのでした。

その後6年生では、私はその生徒の担任ではなくなりました。直接話すこともほとんどなくなりました。そしてあっという間に月日は流れ小学校の卒業式になりました。卒業式の前日、自宅に1枚のはがきが届きました。
「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会ったなかで一番素晴らしい先生でした。有難うございました」と鉛筆で書かれていました。
読んだ瞬間、涙があふれてきました。

さらに6年の歳月が過ぎました。毎日の忙しさのなかで、その生徒のことは忘れていました。ところが今度は自宅にカードが送られてきました。インクで綺麗にこう書かれていました。
「明日は高校の卒業式です。僕は小学校5年生の時に先生に受け持ってもらって、とても幸せでした。そのおかげで大学で奨学金をもらいながら医学部に進学することが出来ます」とありました。

さらにその後10年を経て、またカードが送られてきました。
そこには「私と出会えたことへの感謝の気持ちと、父親に叩かれた体験から患者の痛みや辛さが分かる医者になれた」お記され、さらにこう締めくくられていました。
「僕はいまだによく5年生のことを思い出します。あのままダメになってしまう僕を救ってくださった先生を神様のように思っています。大人になり医者になった僕にとって、最高の先生は、5年生の時に担任して下さった先生です。」
教師冥利というより、ひとりの人間としてこんなに嬉しい気持ちはありません。あふれ出る涙を止めることはできませんでした。

そして1年 その生徒からまたカードが届きました。届いたカードは結婚式の招待状でした。
そこには一言「母の席に座って下さい」と書き添えられていました。